カーリング男子日本代表  
SC軽井沢クラブ特別インタビュー

「世界で戦う『うごかす勇気』と『とめるエネルギー』」

―2022/23シーズン、日本代表として過ごしたSC軽井沢クラブはワールドツアーで日本の男子チームとして歴代最多の3勝を挙げ、日本選手権では連覇を達成し、世界選手権挑戦という充実の1年を駆け抜けました。
まずはその収穫の多い昨季の中で「もっとも心がうごいた瞬間」を4選手に質問してみました。

  • 小泉聡選手(以下、小泉)やっぱり日本選手権の決勝ですね。そこに向けて1年間、いい準備ができて万全の形で大会に臨むことができていましたし、「絶対に勝つぞ」という気持ちで入ることができた。決勝の相手の北見協会(KiT CURLING CLUB)には予選では負けていましたけれど、自信を持ってプレーでき、やれると思って実際にやれたことはチームとして大きな成長だと感じています。
  • 山本遵選手(以下、山本)僕は世界選手権の第二戦、アメリカとの試合です。ラストエンドでいいショットをふたつ決めることができたんですけれど、直後にアメリカ代表のマット・ハミルトン選手がグータッチしに来てくれたんです。チームが負けている時でも、相手のショットを称えることができるのはすごいことですし、カーリング選手として、アスリートとして、目指す姿だなと感動しました。
  • また、世界選手権はカナダのオタワでの開催だったのですが、観客がすごく温かったのを覚えています。いいショットには拍手してくれ、ミスが出ても「惜しかったよね」とポジティブに応援してくれました。仲間が観客席にたくさんいる感覚で、楽しくプレーできました。「カーリングってこういうもんだよな」ってカーリングの真髄を世界選手権の舞台で感じることができたのは大きな財産になると思います。
  • あとは、世界選手権を見てくれた高校のクラスメイトが「カーリングやってみたい」とアイスパークで体験してくれたのは嬉しかったです。

自分の思っていることを
伝えるのが大事

―そのカナダ遠征中にチームはアイスの外である課題に直面したそうです。
最年長38歳の山口選手、35歳の小泉選手、21歳の柳澤選手、最年少16歳の山本選手。22歳差という幅広い年齢の選手が集うと、「いろいろ起こるんです。ホントに」と山口選手。これまで語られなかった裏話とは?

  • 山口長期の遠征や合宿はカーリングだけでなく、チームビルディングにもいい強化になるんです。寝食を共にしてお互いのことを知るのはかなり大事な要素ですね。
  • 小泉それについてはけっこう、大変でした。山本と僕が同室なんですけれど、山本は部屋の整理整頓が苦手なんだと思います。彼はご両親と住んでいるからなのか、脱いだ衣服とかそのままだったりするんですよ。「自分のことは自分でしなさい」って、だいぶ生活指導しましたね。
  • 栁澤一度、山口と見に行ったんですけれど、想像以上に汚かった。
  • 山本すみませんでした。指導のおかげでだいぶ片付けも上達して、最近は一区画にまとまるようになってきました。
  • 山口寝坊もちょこちょこあったね。
  • 小泉それは別の若手だね。
  • 栁澤すみませんでした。
  • 小泉僕は嫌なこと、ダメなことはしっかり指摘するタイプなんだと思います。でも他人に言うことで、自分も一緒に過ごす相手に気を使わないといけないし、遅刻などして迷惑かけるわけにはいかないと思えている部分もあります。
  • 栁澤年齢差があるチームだからこそ、お互いに気にしないで言い合うことは必要だと思うし、山口も小泉も言ってくれることは基本的には正しいです。
  • 山本チームに入ったばかりの頃は言いたいことを言えない時期もありましたが、(意見を)言わないと向こうからも言ってもらえないので、まずは自分の思っていることを伝えるのが大事と思えるようになりました。「怒られたらあとで謝ろう」とも思っています。

今の環境のままでは
これ以上、先にはいけない

―「うごかす」という意味では小泉選手や山本選手は競技に集中するために、自らの環境をうごかして軽井沢に集った経緯があります。
2018年に平昌五輪に出場した山口選手は、その後、チームを再編するために選手やポジションを動かし、その結果、スキップに抜擢されたのが当時、20歳の栁澤選手でした。その栁澤選手はゲームをイメージ通りにうごかすために、どんな思いでプレーをしているのでしょうか。それぞれの「うごかす」への意識を語ってもらいました。

  • 小泉オリンピックを目指してカーリングを始めたのですが、20代の頃は長野県上田市で教員として働きながら仕事の時間を縫って軽井沢に通う競技生活だったので、どこか専念しきれない部分は正直、ありました。教員として働いて5年目の冬に初めて中部選手権に出場できて、思ったよりもいいプレーができた手応えはあった一方で、「今の環境のままではこれ以上、先にはいけないな」と痛感もしました。
  • そんな時に当時、SC軽井沢クラブの理事長だった長岡秀秋さんから「このままじゃ中途半端だぞ」と言われたんですよね。あの頃はやっぱり練習量も足りませんでしたし、伸び代もないと自分でも分かっていたので、その言葉はすごく響きました。環境を変えることに正直、不安は少しありましたが、行動に移した結果、こうして日本代表として世界で戦えていることを考えると「中途半端だぞ」という言葉をきっかけにうごいて良かったと思っています。
  • 山本僕は中学1年生の時、カーリングに真剣に取り組むために神奈川県の藤沢市から軽井沢に引っ越してきました。両親を2年間かけて説得する中で「弥輝はどうするの?」と言われました。2歳下の弟のことです。時には兄弟喧嘩もするけれど、血を分けた分身みたいなものですから、離れ離れになるのは抵抗がありました。弥輝に「俺は軽井沢に行きたいけれど、一緒に行くか(藤沢に)残るか、どうする? なるべくなら離れたくないから一緒についてきてほしい」という話をしたら、彼が「僕も今の環境を変えてでもついていくよ」と言ってくれたのですごく安心したのを覚えています。環境を動かすきっかけのひとつに、弟の決断もあったので、感謝しています。
  • 山口平昌五輪終の新チームは当初、僕がスキップをやっていたのですが、2020年の日本選手権が3位、21年が4位。なかなか結果が出ずにいたんです。それ以上、進むためには何かをうごかさないといけない。そう考え、ポジションをうごかし、スキップを李空に任せることにしました。カーリングでポジションをうごかすのは勇気のいることですが、メンタル的な成長もあった李空ならスキップはふさわしいと信じていましたし、小泉と山本に関しては彼らが語ってくれたように、情熱は最初から持っていた選手なので僕がうごかしたという意識は実はあまりないんです。
  • だから、そんな自由でファイヤーなチームだからこそチームビルディング的には「うごかす」という感じではなく、むしろ「まとめない」ことを意識しているくらいです。ちょっと前まではまとめようと頑張っていたのですが、全然、まとまらなかったんです。でもまとめないことでそれぞれの意見がどんどん言える環境になってきて、それで最終的にまとまってきたから、それでいいのかなと今は思っていますね。
  • 栁澤日本選手権決勝の前の夜、チームでミーティングをしたんです。小泉がさっき言ったように、相手の北見協会(KiT CURLING CLUB)とは大会を通して3度目の対戦で、一度、負けている。だから「こういう作戦を執ってくるだろうね」とか「少し戦い方を変えないといけない」といった話をけっこう長い時間、90分くらいかけて確認しました。うちのチームはカーリング大好きなので、ずっとカーリングの話ができるんですよ。
  • しっかり前夜にミーティングをして迎えた決勝では、リード、セカンド、サードそれぞれが十分な役割を果たしてつなげ、自分を突きうごかしてくれたので、とても満足感が得られるゲームになりました。ああいう試合が増えれば、もっともっといい舞台で試合ができる気がしています。

周りを信じて、自分は
やるべきことだけをする

―小泉選手にはスイーパーとして、狙ったところにストーンを正確かつ自在に止める技術が求められます。その際に何を注意しているのか。世界選手権に最年少選手として出場したことでも話題となった成長著しいセカンド山本選手には、相手の石をテイクする(うごかす)時に考えていることを。もっともキャリアを持った最年長の山口選手には世界と日本のカーリング界の動きを、そしてその山口選手を巧みにうごかすためにスキップの栁澤選手が念頭に置いていることを、それぞれ教えてもらいました。

  • 小泉スイープを使って狙ったところにストーンを運び止めるために、意識していることはふたつあります。
    ひとつ目は、外気との差を含めた気温、試合の時間帯、お客さんの入りといったコンディションに気を配ること。特に世界選手権などで使われるアリーナのアイスはすぐに変化して、滑りや重さといったストーンのうごきに直結してきます。そのあたりを山本と情報共有してすぐに変化を察知できるように準備しています。
  • もうひとつはマージン(許容の範囲)について考えることです。すべての石を狙ったポイントに止めるのは難しいので、もしズレが生まれてしまうなら手前に止めるべきか、(ハウスの)奥まで入れたほうがいいのか。それをチームで確認、共有しながらスイープしています。
  • 山本日本代表として初めて出場した試合は11月のパンコンチネンタルカップ(カナダ・カルガリー)だったのですが、僕はショットがなかなか決まらなくて苦しい大会でした。悔しいというより本当に何もできなさすぎたという印象しか残らなかったので、そこから「自分の武器を作らないと」と思って、シーズン後半は早いウェイトのショットに集中して取り組み、試してきました。それが世界選手権で、相手の石をたくさん動かすトップウェイトのショットに繋がったと思います。投げる時はあまり考えすぎると身体も動かなくなるので、スキップの出す幅を信じて、スイーパーを信じて、周りを信じて、自分はやるべきことだけをする。それを意識してプレーしたのが良かったと思っています。
  • 山口山本が最年少選手として出場したことも含め、世界選手権に出てくるチームや選手も変わってカーリング界は常にうごいていると感じています。国内を見渡しても、日本代表として平昌五輪で銅メダルを獲得したロコ・ソラーレが次は銀メダルという進化を見せてくれて、その4年の間にもカーリングを取り巻く環境はどんどんうごいています。その動きを止めないように、男子もいい結果で世界に追いつかないといけないですね。

    栁澤こんな感じで山口は普段、いちばん燃えているので、燃えてない時は「鎮火してるなあ」とわかりやすいんです。だいたいは想像通りにパフォーマンスできなかった時ですね。スキップとして、気持ち良く投げてほしいので、例えばドローが決まってなかったら「幅を変える? 投げを変える?」くらいの提案でコミュニケーションをとっていれば、そのうち勝手に火が点くので、あんまり難しく考えていません。言い過ぎないように気をつけてるくらいですね。

    個人的にはショットが決まらない時、苦しい展開にある時に「不機嫌な自分」に気づくことを意識しています。チームのメンタルコーチともよく話しているのですが、不機嫌になるのは仕方ないので、その状態にあることを早い段階で自覚することを大切にしています。今後もそれはテーマのひとつですね。

そこでしか得られない
経験値があるんです

―日本代表としての2シーズン目を迎えるSC軽井沢クラブの今季は、8月に札幌で行われる国内大会から開幕します。「もっと強豪との試合を経験したい」という山口選手の抱負どおり、中国、カナダ、欧州と転戦が予定されており、日本選手権3連覇、さらには世界選手権で男子カーリングとしては初のメダル獲得を目指して、大きな挑戦は続きます。

山口昨シーズンは約100試合をこなしたのですが、勝率は悪くなかったと思います。ただ、僕らに足りないのはランキング上位チームや各国代表チームなど、強いチームとの試合数です。彼らとの試合は「強いな、これは勝てないな」とこっちが感じてしまうようなすごいショットも出ますし、崖っぷちのような局面に常にさらされるんですけれど、さっき栁澤が言ったようにそれが本当に楽しいですし、そこでしか得られない経験値があるんです。それがもっともっと欲しいですね。

そのためには自分たちも見ている人の心もうごかすようなプレーを続けなくてはいけませんし、ゲームの中で悪い流れになったら止めないといけない。

どちらも難しくエネルギーのいることなんですが、国内トップシェアで世界に挑むナブテスコさんの「うごかす、とめる。」を見習って共に進んでいこうと思っています。みなさん、今季も応援よろしくお願いします。

選手情報
スキップ●栁澤李空(やなぎさわ・りく)
2001年10月25日長野県軽井沢町生まれ。チームのラストロックを投げる司令塔であり、フィニッシャー。趣味はピアノで遠征先でも気分転換に弾くことがあるとか。
サード●山口剛史(やまぐち・つよし)
1984年11月21日北海道南富良野町生まれ。チーム最年長で大黒柱、世界でも有数のパワースイープの使い手。趣味はゴルフと筋トレ。涙もろい。
セカンド●山本遵(やまもと・たける)
2006年8月9日神奈川県藤沢市生まれ。急成長を見せるカーリング界の新星であり、岩村田高校(長野県佐久市)の現役高校生。趣味は音楽を聴く、歌うこと。
リード●小泉聡(こいずみ・さとし)
1987年12月26日長野県上田市生まれ。クールガイのビジュアルながら実は熱い切り込み隊長で、スイープでチームを支える縁の下の力持ち。趣味は登山、スポーツ観戦、映画鑑賞。
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